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横浜地方裁判所 昭和59年(ワ)1135号 判決

原告

角田富夫

右訴訟代理人弁護士

成田茂

鈴木和夫

成田光子

鈴木きほ

被告

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右指定代理人

野崎守

外五名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、一六二七万一五〇七円及びこれに対する昭和五八年一〇月六日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、昭和五八年六月ころから横浜刑務所に服役し、同年九月一日同刑務所第三工場に配属され、同月九日から同年一〇月六日まで同工場内においてアルミ線等のビニール被膜を剥ぎ取る作業(以下「本件作業」という。)に従事させられていたところ、後記本件事故に遭った者である。

2  本件事故に至る経緯

(一) 原告は、昭和五八年九月九日看守部長の高坂英二(以下「高坂」という。)から本件作業の班長兼検査工をしていた受刑者である倉田裕之(以下「倉田」という。)を紹介され、同人に連れられて第三工場内の被膜電線の伸線・皮むき作業場に行き、受刑者である荒井勲(以下「荒井」という。)に紹介され、本件作業に従事するよう指示された。

本件作業は、班長である倉田の指揮のもとに受刑者五、六名が平ロール機と称する機械(以下「本件ロール機」という。)など四台の機械を使用して行うものであり、本件ロール機は、被膜電線を挿入口から差し込むと、熱と圧力によってビニール被膜を剥ぎ取りやすくする機械で通常電線一〇本以上を一分間以内に処理する能力があった。 なお、本件作業は、毎日材料置場からリヤカー一杯の被膜電線を第三工場内に搬入し、それをその日のうちに処理することが事実上の作業目標とされており、原告は班長の倉田から、「溜まっている。」「仕事が遅れている。」などと再三いわれ、懲役囚である原告にとっては、仮出獄等のためには事実上の作業目標を達成することが必要不可欠の状況であった。

(二) 原告と荒井は、昭和五八年一〇月六日午前九時五〇分ころ、倉田から本件ロール機を用いて本件作業をするように命じられ、本件ロール機へ電線を挿入し始めた。

(三) まず、原告、荒井及び新たに本件作業に配属された氏名不詳の受刑者が、本件ロール機に電線を挿入しようとしたところ、挿入できなかったので、荒井において本件ロール機上部にあるハンドルによって調整したり、上部から水をたらしたりしてみたが、依然として挿入できなかった。

そのころ倉田が、本件ロール機の不調に気付き、本件ロール機の傍らに来て調整等にあたったが、そのまま休憩時間となった。同日午前一〇時から右の四名が再び本件ロール機へ電線を挿入しようとしたが、挿入できなかった。

(四) 荒井は、本件ロール機の前部に設置されていたカバーを取り外すことを提案し、誰からも反対されなかったため、作業机からレンチを持ってきて前部カバーを外した。そして、原告において剥き出しとなったロールに短い被膜電線を挿入したところ、やっと挿入できた。

(五) 原告は、一本目の電線が挿入できたので、皮手袋を着用した右手で二本目の電線をロールに挿入しようとしたところ、右皮手袋の先がロールに巻き込まれ右手もそれに引きずられて巻き込まれた。その結果、原告は、右手示指挫創・末節骨切離及び右手中指挫傷・末節骨骨折等の傷害を負った。

3  被告の責任

(一) 主位的請求

(1) 安全教育不十分の過失

刑務所の受刑者(懲役囚)は刑務作業を強制され、作業内容、種類、方法、態様、用具の選択など自由に行えないのであるから、刑務官は、服役者に刑務作業を行わせるに際して、十分な安全教育を施す注意義務がある。しかるに、看守部長の高坂、第三工場担当の刑務官千葉忠(以下「千葉」という。)及び第三工場担当の技官川路兼吉(以下「川路」という。また、三名を以下「高坂ら」ということもある。)は、右注意義務に反して、原告に対し、本件ロール機の構造・使用方法及び危険性、とりわけ本件ロール機の前面カバーが安全装置であることについて説明せず、全く安全教育を施さないまま本件作業に従事させた。

なお、原告は、本件作業に従事するに先き立ち昭和五八年九月九日看守部長の高坂から、第三工場外の廊下において、口頭で約五分間にわたり一般的な安全心得の告知を受けたが、これは一般的な内容のものにすぎず、本件ロール機についての具体的な説明は全くなかった。次に、原告は、毎朝の安全指導を受けたが、それは工場内の壁に貼ってある「安全心得」と称する書面を担当看守が棒読みするものに過ぎなかった。また、原告は、緑十字の日に安全指導を受けたが、これも第三工場に従事する受刑者全員に対し一般的な訓話がなされるに過ぎず、本件ロール機に関する説明は全くなかった。

(2) 不良機械を使用させた過失

本件ロール機は、原告の配属された当初から故障がちであり、数十分に及ぶ調整をしても被膜電線が挿入できない状態が生じていた。高坂らは、本件ロール機が本件事故以前から故障がちの不良な機械であることを知っていたから、本件ロール機による作業を中止させるか、本件ロール機を修理する等の処置を講じる注意義務があった。ところが、高坂は、本件ロール機による本件作業を続けさせたうえ、同機械の調整なども原告を含む受刑者に任せていた。

(3) 作業監督懈怠の過失

また、刑務官は具体的作業について受刑者に危険がないよう常に監督をする注意義務があるところ、高坂及び千葉は、これに反して、荒井が本件ロール機の前部カバーを取り外したにもかかわらず、これに気付かず、もしくは気付きながらこれを放置した。

(4) 皮手袋を着用させた過失

さらに、ロール機作業においては、手袋がロールに巻き込まれる危険があるため、手袋の着用が禁じられており、高坂らはこれを知り又は知りうべきであったのにかかわらず、ロール機作業に従事する原告に皮手袋の着用を指示して本件作業にあたらせた。

(5) 本件事故は高坂らの右各過失に基づき生じたものであり、その結果原告は右手示指挫創・末節骨切離及び右手中指挫傷・末節骨骨折等の傷害を負ったものであるから、被告は原告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、後記の損害を賠償すべき義務がある。

(二) 予備的請求

(1) 被告は、刑務所を設置し運営する者として、刑務作業の選定及び刑務作業をなす人的・物的設備につき、在監者たる原告の生命・身体に危険を生じないように注意すべき義務(安全配慮義務)がある。

すなわち、刑務作業(懲役)は苦役を目的とするものではなく、また残虐刑である体刑は禁止されているのであるから、身体の損傷度の高い作業を刑務作業として選択し強制することは許されない。また、被告は、刑務作業のための設備・機械等を支配するのであるから、受刑者に刑務作業を強制するに際し、その人的・物的設備につき受刑者の生命・身体に危険が生じないように注意する義務があるのは当然である。しかも、刑務作業は強制作業であって、経験も適性もない受刑者にも課されるものであるうえ、受刑者は、安全性について改善することも意見具申することも許されておらず、自ら望む安全教育を受けることも安全性を探究することもできないのであるから、被告の原告に対する安全配慮義務は、一般の使用者が負うものよりもより高いものでなければならない。

(2) しかるに、被告は原告に対し、右注意義務に反して、極めて危険性の高いロール機を使用した本件作業を刑務作業として選択してこれを課し、また、老朽化し故障がちで刑務作業には適さない本件ロール機を原告の刑務作業用に配置したうえ、本件ロール機の修理を受刑者に任せ、さらに、長期にわたって本件ロール機の前部及び後部カバーを外して掃除することを容認してきたのである。

また、被告は、原告に危険な刑務作業を課したにもかかわらず、横浜刑務所第三工場において、十分な安全教育を行うに足りる人員及び時間を確保せず、原告に対し、本件作業に関する安全教育を全く行わず、かつ、受刑者の刑務作業を監督し刑務作業中の事故を未然に防止するに足りる看守、技官、派遣社員等の人員を配置しないばかりか、事故を防止するに足りる物的諸設備も施さなかった。

(3) 本件事故は、被告が原告の刑務作業の安全に配慮することなく、漫然と右(2)前段の各行為を行い、かつ右(2)後段のとおりの状態を放置してきたことにより生じたものであり、被告は原告に対し、安全配慮義務違反に基づき、後記の損害を賠償すべき義務がある。

(三) なお、原告には、本件事故につき重大な過失はなく、被告も次のとおりこれを自認しているところである。

被告は原告に対し、昭和五九年五月一七日、監獄法二八条、同法施行規則七九条及び死傷病手当金給与規程に基づき、死傷病手当金(障害手当金)として、一五万五〇〇〇円を支払ったが、右金額は死傷病手当金給与規程の別表平均額として算出されたものである。

ところで、死傷病手当金規程は、「所長は、死亡、受傷又は疾病が本人の重大な過失に起因するものと認めるときは、死傷病手当金を給与しないことができる」と規定(同規程五条)し、その運用に際しては、「給与する死傷病手当金の給与額は、規程別表の平均額より低い金額とする」と定められて(昭和六〇年四月五日矯作第六四一号矯正局長依命通達)おり、また、横浜刑務所「所内生活のしおり」第三の六「作業安全」においては、死傷病手当金の支給基準として「わざと怪我をしたり、普通の注意をすれば怪我をしなかったと思われるとき以外」と規定している。

そうすると、被告が原告に対し死傷病手当金給与規程の平均額にのぼる死傷病手当金を支給したことは、原告に重大な過失がなかったことを自認したものというべきである。

4  損害

(一) 傷害慰謝料 一〇〇万円

原告は、本件事故による受傷のため、昭和五八年一〇月六日から同年一二月一三日まで横浜刑務所内の病棟に入院し治療を受けていたものであるが、指先の神経まで切断するという傷害であったため眠れない程の痛みが続き、さらに、刑務所内で拘禁中であるという特殊状況のため、その精神的損害は通常の場合に比してより多大であって、慰謝料は一〇〇万円を下ることはない。

(二) 後遺症慰謝料 二五〇万円

原告には現在右示指挫創・末節骨切離及び右中指挫傷・末節骨骨折の本件事故による後遺症があり、これは労災等級第一二級に該当する。

原告の右手人差指は指先の触覚が全く失われ、かつ、圧痛を感じる状態であるので、物を持つことが一切できず、又、第一関節が殆ど曲がらず、さらに、右手中指も長く使用すると痛みがはしる状態であって、右手は筆さえ満足に使えない現状にある。

右の事情を考慮すると、原告の後遺症による精神的損害は、二五〇万円を下らない。

(三) 逸失利益 一一一四万四三五七円

原告は、昭和二一年一一月九日生まれの男子であり、本件事故当時三六歳で就労可能年数は三一年間であるところ、本件事故により労災等級第一二級と認定される後遺症を患い、労働能力の一四パーセントを喪失したので、昭和五六年賃金センサス第一巻第一表の三六歳男子労働者一箇月平均給与額を1.0701倍(賃金上昇率)したもの(三六万〇一〇〇円)を基礎とし、新ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して、逸失利益の本件事故当時における現在価額を算出すると、次の計算式のとおり、一一一四万四三五七円となる。

36万100円×12×0.14×18.4214=1114万4357円

(四) 以上の合計 一四六四万四三五七円

(五) 弁護士費用 一六二万七一五〇円

原告は、被告が任意に損害賠償をしないので、原告訴訟代理人らに本訴の提起及び追行を委任し、訴額の一〇パーセント相当の一六二万七一五〇円を報酬として支払うことを約した。

よって、原告は被告に対し、主位的請求として国家賠償法一条一項に基づき、予備的請求として安全配慮義務違反に基づき、一六二七万一五〇七円及びこれに対する不法行為日である昭和五八年一〇月六日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1の事実は認める。

但し、原告が横浜刑務所に服役したのは、昭和五六年六月一一日である。

2(一)  請求原因2(一)第一段の事実中、原告が昭和五八年九月九日から横浜刑務所第三工場において本件作業に従事したこと及び同第二段の事実は認め、第三段の事実は否認する。

(二)  同2(二)の事実は認める。

(三)  同2(三)の事実は、後記被告の主張と異なる部分を除き認める。

(四)  同2(四)の事実は認める。但し、本件ロール機の前部のカバーをはずすことに誰からも異論がなかったとの点は否認する。倉田は反対していたものである。

(五)  同2(五)の事実は認める。但し、原告が右示指末節骨切離の傷害を負ったかどうかは知らない。

3(一)(1) 同3(一)(1)前段の主張は争う。同後段のうち、高坂が昭和五八年九月九日に原告に対し安全心得を指導し、担当職員が毎朝及び緑十字の日に原告を含む受刑者に安全指導をしていたことは認め、主張の趣旨は争う。

(2) 同3(一)(2)のうち、本件ロール機が故障がちのものであったことは否認し、その余の主張は争う。

(3) 同3(一)(3)ないし(5)の主張は争う。

(二) 同3(二)のうち、(1)前段の一般的主張は争うものではないが、その余の主張は争う。

(三) 同3(三)のうち、被告が原告に対し、死傷病手当金として一五万五〇〇〇円を支給したこと、右金額が死傷病手当金規程の平均額であることは認め、その余の主張は争う。

4(一)  請求原因4(一)の事実中、原告が本件事故の受傷により昭和五八年一〇月六日から同年一二月一三日まで、横浜刑務所内の病棟に入院し治療を受けていたこと、原告が治療中、刑務所内に拘禁されていたことは認め、指先の神経まで切断するという傷害であったため眠れない程の痛みが続いたことは知らず、その余は争う。

(二)  同4(二)の事実中、原告が右示指挫創及び右中指挫傷・末節骨骨折の傷害を負ったことは認め、その余は争う。

(三)  同4(三)の事実中、原告が昭和二一年一一月九日生れの男子であり、本件事故当時三六歳であったことは認め、その余は争う。

(四)  同4(四)は争う。

(五)  同4(五)の事実は知らない。

5  本件の経緯

(一) 原告は暴力行為等処罰に関する法律違反等により昭和五六年四月三〇日前橋刑務所に入所し、同年六月一一日前橋刑務所から横浜刑務所に移送され、昭和五九年四月一七日刑の執行終了により出所するまでの間、同刑務所に収容されていたものである。

(二) 原告は、昭和五八年九月一日第三工場に配属され、同月九日からここで他の二人の就業者とともに共同で本件作業に従事し始めた。

第三工場とは、横浜刑務所が民間業者と労務提供契約を締結して刑務作業を実施している工場であり、本件作業を含め四職種に分かれ、高坂及び千葉の監督下に約五〇名が就業している。

本件作業は、民間業者(有限会社大橋金属工業)からの発注による年間契約の賃金収入作業(機械・器具・材料等を相手方から提供を受け、就業者一人一時間当たりの契約賃金に一箇月ごとの就業延時間を乗じて算出した労務費を徴する作業)であるので、作業処理量をもって請求金額が変わるものでも、契約納期が迫られていたものでもないのであって、特に本件作業を急がせる必要はなく、担当職員が急がせた事実もない。

(三) 本件ロール機は民間業者から提供を受けて第三工場に設置されたものであるが、横浜刑務所では事故防止の観点から、提供業者に依頼して、機械前部の被膜電線挿入面に鉄板に穴五個をあけた安全カバーを取り付けた。また、本件ロール機購入後横浜刑務所においても機械上部及び後部にも同様の鉄板を取り付け、さらに右安全カバーの中央部に円筒型挿入口一個を取り付け、当該部分からのみ電線を挿入することとして、安全確保に万全を期した。

なお、本件ロール機は、太さの異なる電線を挿入する際には機械上部にある二本のハンドルによってロールの間隔を調整することが必要であるが、これは故障ではない。

(四) 一方、高坂は、昭和五八年九月九日本件ロール機取扱作業に従事させるに当たって、原告に対し、「第三工場安全作業心得」及び「矯正局編作業安全心得」と題する書面によって本件ロール機の操作要領について教示するとともに機械操作上の安全心得を指導し、特に機械の調子が悪かったり、異常を発見した場合には、直ちにスイッチを切って機械の運転を停止させたうえ、担当職員に報告すること、安全カバーは勝手にはずしてはならないことなどを内容とする作業安全心得について指導している。

また、横浜刑務所においては、毎朝及び緑十字の日に、原告を含む就業者に対し、第三工場であれば同工場備付けの「安全作業心得」及び同刑務所備付けの「作業安全心得」などを用いて機械操作上の心得等について安全教育指導を行うとともに就業者の安全作業に対する意識の高揚を図ってきた。

(五) 本件事故のあった昭和五八年一〇月六日の本件作業については、まず、午前九時五〇分ころ荒井が本件ロール機の前部において被膜電線を押し込む係を担当し、原告及び他の就業者が同機械の後方において剥ぎ取られた電線本体と被膜ビニールを受け取る係を担当していた。その際、荒井が長い被膜電線を二つ折りにして本件ロール機に押し込んだところ、ロールにかみ込まれず通過しなかったので、さらに別の短い五、六〇センチメートルの被膜電線を折り曲げないで押し込んだところ、この被膜電線はロールにより被膜が剥ぎ取られ正常な状態で通過して原告が待っているところに出てきた。その後も被膜電線がかみ込んだり、かみ込まなかったりしたので、荒井は、長い被膜電線あるいは短い被膜電線を繰り返し挿入してテストしていた。

(六) 午前一〇時から休息時間となり、午前一〇時一〇分ころから本件作業が再開され、荒井が再び被膜電線を挿入したが、ロールにかみ込まれずに通過しなかった。そのとき倉田が本件ロール機の側にやって来た。

その際、荒井が本件ロール機の前部の本件安全カバーを取り外して電線を直接ロールに入れてみようと提案したところ、倉田だけが反対し、原告らは荒井に同調した。そこで荒井は、レンチを持ってきて右カバーを取り外した。その直後、原告が本件ロール機の前部に移動し回転しているロールの間に被膜電線を挿入したところ、電線はロールの間に引き込まれていった。そこで、原告が再度別の被膜電線をロールの間に押し込もうとしていたところ、右手が皮手袋ごとロールの間に引き込まれて本件事故となった。

(七) 原告は反射的に右手を手前に強く引き声を発した。これを聞きつけた倉田がとっさに本件ロール機のスイッチを切るとともに、高坂に連絡した。

荒井が本件ロール機の前部カバーを取り外しにかかってから本件事故が発生するまで、二、三分のことであり、その間、第三工場の作業監督を行っていた高坂及び千葉は、原告らの行為に全く気付かなかった。

高坂は、本件事故の報告を受け、直ちに右事故を医務部に急報し、医務部において、医師が応急の止血処置を施した後、原告を外部の外科病院である朝倉病院に同行し専門医による治療を受けさせ、帰所後、横浜刑務所の病舎に収容し、延べ五二回にわたって診療を施した結果、症状が軽快したので昭和五八年一二月一四日病舎収容を解除し、その後二回の診療を実施して治癒と認めた。

6  高坂らの無過失

本件事故は、横浜刑務所が通常指導している作業工程手順に基づいて作業を実施している中で発生したものではなく、通常の手順、状態においてはなんら危険ではない作業について、刑務官の作業安全指導を無視し極めて危険な状態を作り出して行うという原告の無謀行為の結果発生したもので、高坂らには、次のとおり、なんら過失がない。

(一) 安全教育指導

原告は、横浜刑務所に入所した後、第三工場に就業する以前においても、二箇所三回の作業工場(うち同一工場に二回)に就業しており、その都度安全作業に共通する事項として、①機械の調子が悪かったり異常を発見した場合には直ちに機械を停止して担当職員に申し出ること、②指示されていない機械や器具は勝手に使わないことなどを内容とする作業安全心得及び就業した工場に関連する作業安全心得についての指導を受け、そのうえ、第三工場に就業するに当たって、高坂から昭和五八年九月一日の出業時に①②の作業安全心得の指導を受けている。さらに、原告は、前述のとおり同月九日高坂から、本件作業に当たるにつき本件ロール機の操作要領の教示、機械操作上の安全心得を指導されているのである。

また、横浜刑務所においては、前述のとおり担当職員が毎朝始業前及び緑十字の日(毎月第一、第三月曜日)に原告を含む就業者全員に対し、安全教育指導を行っている。

したがって、高坂らには、原告の安全教育指導に関して、過失はない。

(二) 本件ロール機の安全性

横浜刑務所では、有限会社大橋金属工業において、四〇歳位のパートの女子工員が安全カバー(前部、上部及び後部のカバー)もなくロールが剥き出しの状態で本件ロール機を使用しており、また同社で約三年間にわたる同機械の使用中一件の事故事例がない旨の説明も受けたので、たとえ受刑者による作業であっても、右機械に前部カバーを取り付けるなどすれば、十分に安全性を確保し得ると判断し、導入を決めた。

そして、本件ロール機には前記のとおり、手指等がロールに巻き込まれる事故を防止するため、安全カバーを取り付けて貰い、購入後も前部カバー中央部に円筒型挿入口一個を取り付け、当該部分からのみ電線を挿入することにし、さらに、同機械の上部と後部に安全カバーをそれぞれ取り付けてロール全体を覆い、もって就業者の安全確保に万全を期した。

また、本件ロール機の導入後約二週間位は、就業者が調整ハンドルの操作に慣れていないため、川路が頻繁に指導及び調整を行ったが、その後、就業者の熟練度が高まるにつれて川路の調整回数は激減し、就業者による調整ハンドルの操作による調整のみで、作業は順調に行われ、特段の修理・調整の必要に迫られたこともなく、まして調整不十分で作業が長時間にわたって中断したこともない。

以上のとおり、ロール機は、安全な機械であり、かつ、故障がちなものではないから、高坂らが原告に本件ロール機を使用させたことに過失はない。

(三) 日常の監視体制

工場担当職員は、工場内における就業者の身柄確保、規律の維持等に務めるとともに、作業の監督に当たっては作業安全教育を細やかに指導し、危険性のある作業をした者に対しては、現認した都度注意、指導しており、このことは、昭和五八年九月二七日ころ、塚原良徳担当において、原告らが本件ロール機の電源を切らずに、ロールを回転させたまま後方カバーを上げ同機械につまった被膜ビニールを取り除こうとしているのを発見し、その時点において厳重な注意、指導を行っていることからも明らかである。

本件ロール機の前部カバーを外すのは、毎月一回期日を決めて同機械を総点検する場合又は作業材料が途切れた際に同機械を整備する場合であり、いずれの場合も指定された就業者があらかじめ担当職員の許可を得て前部カバーをはずし、担当職員が確認のうえ同機械の電源を切って実施していたのであり、毎日の終業時の掃除において、前部カバーを外して行うことはなく、仮に刑務官がこのような状況を現認すれば、厳重に注意したはずである。

したがって、被告の刑務官には、日常の監督についてなんら過失がない。

(四) 本件事故当時の監督状況

本件事故当時、高坂は第三工場内東側入口担当台に立って、工場内全体を見回し、千葉は同工場内西側入口付近から転盤作業場を通り東側担当台に向かって就業者の戒護に当たりながら巡回しており、十分な監督義務を尽くしていた。

本件において、前記の作業安全教育に照らして就業者が勝手に安全カバーを取り外すこと自体予想困難なことであり、しかも荒井が右カバーを取り外してから本件事故が発生するまで僅か二、三分の出来事であった。

また、本件ロール機自体が大きな機械ではなく、就業者が同機械の前部に立って作業をする場合には同人の陰になる場合も多く、視察が容易ではなかった。

さらに、本件事故当時は、午前中の休息時間を終了し、作業を開始して間もない時間帯であったため、担当職員である高坂及び千葉は、第三工場内のすべての部署において遅滞なく正常に作業が行われるよう監督する必要があり、工場の特定箇所にのみ視線を固定することはできず、工場全体に視線を向けなければならない状況にあった。

したがって、高坂及び千葉には、本件事故当時の監督につき過失はない。

(五) 手袋の着用

本件作業は、鋭利に切断された末端切り口部分を有する被膜電線を取り扱うものであって、手袋なしにはその鋭利な切り口により手指等を負傷するおそれが十分推察されたことから、横浜刑務所ではこの種の負傷事故防止のための保護具として、皮手袋を着用させていたのであり、これは安全管理上の適切な処置である。

なお、作業安全心得には、ロール機作業において手袋の着用を禁止する旨の記載があるが、「手袋の使用を禁止するロール機作業」とは、ロール部分に何ら覆いがなされていない機械を使用する場合を指しているものであって、本件ロール機には、前述のとおり前部、上部及び後部にそれぞれ安全カバーが設置され、最も手指等が巻き込まれるおそれのある被膜電線を挿入する前部については、安全カバーのみならず、挿入孔を追加設置し、より安全な作業方法を確立していたのであって、手袋を使用しても危険はなかったものである。

したがって、高坂らには、原告に皮手袋を使用させたことにつき、過失はない。

(六) 本件事故の原因

本件事故は、原告の重大な過失に基づいて生じたものである。

すなわち、原告は、本件ロール機操作上の基本的注意事項(機械の調子が悪く異常を発見した場合には、直ちにスイッチを切って機械の運転を停止し担当職員に報告すること及び安全カバーを勝手にはずしてはならないこと)を無視して、担当職員に何の申し出もせず、かつ、スイッチを切ることさえもせず、荒井が勝手に前部カバーを外すことを容認し、しかもロールが剥き出しの状態で直接電線を挿入したのであり、また、原告は、右のように危険な状態で電線を挿入する以上、平素からの作業感覚を思い起こし、ロールの回転及び電線の巻き込み状態に対する一層十分な注意を払うことはもとより、作業材料である被膜電線の中から比較的長いものを選択して挿入するとか、或いは挿入する際には極力ロールから離れた部分を把持するとかして、手指等がロールに巻き込まれないように細心の注意を払うべきところ、これを怠り、ただ漫然と安全カバーが設置されている状態と同様に安易に、回転している剥き出しのロールに被膜電線を挿入したため、右手をロールに巻き込まれたのである。

以上のとおり、原告の自過失による事故であり、高坂、千葉及び川路には本件事故について、原告主張の過失はない。

7  安全配慮義務違反の不存在

被告には、次のとおり、安全配慮義務に反した作為又は不作為はない。

(一) 本件ロール機は、安全カバーが完備され、被膜電線を挿入孔から挿入するだけという簡単、かつ、安全な機械であって、原告主張のごとく故障がちな機械ではない。

また、受刑者に刑務作業を課すに当たっては、過去の職歴、本人の作業適性を十分に斟酌しており、原告についても、第三工場内で就業させるに当たって、初め金属組立作業に就け、原告の作業適性を見極めたうえで、本件作業を行わせているのである。

したがって、被告は原告に対し、危険性の高い刑務作業を選択したとはいえないばかりでなく、事故防止に必要な物的設備を十分に備えていたものである。

(二) 前記のとおり、被告は原告に本件作業を課するに当たって、工場担当職員である高坂をして機械の種類、作業内容、危険性等について原告に対する十分な安全教育を行わせており、十分な安全教育を行うに足る人員及び時間を確保していた。

(三) 被告は、第三工場に常時担当職員二名を配置し、本件事故当時も職員二名が五〇名程度の同工場就業者の戒護及び作業の指導監督に当たっていたものであり、担当職員のうち少なくとも一名は、各部署における受刑者の動静及び作業実施状況を視察するため常時工場内を巡回し、また、担当技官が一日に数回同工場に赴き、その都度受刑者の作業の指導監督に当たっていたうえ、管理部長、保安課長、保安課長補佐、処遇係長、監督看守部長等の幹部職員が絶えず同工場を巡回し、受刑者の動静視察、作業安全管理等について担当職員に対する援助及び指導監督を行っており、同工場の安全管理のための職員配置が不十分であったとはいえない。

(四) 以上のとおり、被告は、原告に本件作業を行わせるに当たって、機械設備の安全管理についても十分な配慮をなすとともに、作業そのものについても十分に安全教育を実施して行わせていたものであり、本件事故は専ら原告の無謀ともいうべき作業方法に起因するものであるから、被告にはなんら過失ないし安全配慮義務違反行為はない。

8  死傷病手当金の支給について

なお、死傷病手当金は、監獄法二八条一項に基づく「死傷病手当金給与規程」(昭和六〇年矯作訓第六四〇号法務大臣訓令)の定めるところにより、受刑者に対する恩恵的な救済制度として、情状により金銭を支給するものであり、その給与額は、当該受刑者の改善更生に資するため、第一に出所後における当座の生活を営み得ることを目的とし、そのため当該受刑者の過失の有無はもちろん、その他もろもろの事情を考慮して運用しているのであり、原告についても、原告の過失とともに荒井らとの共同の過失等が認められることなどの事情を考慮して、平均額を支給したもので、平均額の支給は、原告に重大な過失がない旨を被告において自認したことを意味しない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

原告について請求原因1のとおり横浜刑務所で本件作業中に後記本件事故が生じたことは当事者間に争いがない。

二本件事故に至る経緯

1  争いのない事実

原告が昭和五八年九月九日高坂から指示されて、横浜刑務所第三工場における本件作業に従事したこと、本件作業は、倉田の指揮のもとに受刑者五、六名が本件ロール機など機械四台を使用して行われるものであること、本件ロール機は、被膜電線を挿入することにより、熱と圧力によってビニール被膜を電線本体から剥ぎ取りやすくする機械であり、通常電線一〇本以上を一分間以内に処理する能力があったこと、原告が昭和五八年一〇月六日午前九時五〇分ころから本件ロール機による本件作業を行っていたが、被膜電線が容易に本件ロール機に挿入されなかったところ、倉田が本件ロール機の側にやって来たこと、それでも進展がないので荒井が本件ロール機の前部カバーを取り外すように提案し、レンチを持ってきて右カバーを取り外したこと、そして原告が稼働している本件ロール機に被膜電線を挿入すると、一本の被膜電線がロールの間に引き込まれたので、皮手袋を着用したまま右手で二本目の被膜電線を本件ロール機に挿入したところ右皮手袋の先がロールに巻き込まれ、原告の右手もそれに引きずられて巻き込まれた結果、原告は右手示指挫創、右手中指挫傷・末節骨骨折の傷害を負ったこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  前項の争いのない事実と〈証拠〉を総合すると、以下のとおり認められる。

(一)  原告は、昭和五六年四月末日暴力行為等処罰に関する法律違反、兇器準備集合罪等により前橋刑務所に入所した後、同年五月横浜刑務所に移り、同年六月から昭和五八年三月まで同刑務所の第六工場において網戸関係の刑務作業に従事し、昭和五八年五月から同年七月まで同刑務所の第五工場においてミシンの仕事に従事し、同年九月一日から同刑務所の第三工場に移った。

第三工場の正担当刑務官であった高坂は、第三工場での作業に配置代えとなった原告に対し、昭和五八年九月一日、作業中の放談禁止、整理整頓の厳守、着衣をきちんと身につけること、指示されていない機械の使用禁止、作業中に異常があれば機械のスイッチを切って担当刑務官に報告すること、作業内容、使用機械の取り扱い、危険性についての注意事項ないし説明を行ったうえ、建築用パネルを同一間隔に保持するためのセパレートボルトに電動モーターを使用してナツトをつける作業に原告を従事させた。

原告は、同月九日、第三工場内の右のボルト関係の仕事から本件作業に変わることを指示され、同日の始業前に高坂から、作業内容について説明を受けたうえ、作業中の雑談禁止、運搬車等によって足を潰されないようにすること、ロールに手や指を巻き込まれないようにすること、安全装置を許可なく取り外さないこと、機械の調子が悪ければ担当職員に申し出ること等の注意を受けて、二、三箇月前から本件作業に従事していた検査工(班長とも呼ばれていた。)である受刑者倉田に紹介され、さらに同人から荒井を紹介され、荒井から具体的な作業内容の説明を受けて本件作業に従事し始めた。

(二)  ところで、昭和五八年当時横浜刑務所では、受刑者は、毎朝朝食を済ませて午前七時四〇分ころ刑務所内の工場に行き、工場内通路において各工場担当の刑務官から点呼と作業を安全に行う上での注意事項について説明を受けた後、体操をして午前八時から作業を開始していた。第三工場では担当刑務官の高坂が右始業前の安全指導の際、同工場において作成した一一項目にわたる安全作業心得と題する書面(乙第六号証の二)のうちから毎日二、三項目を取り上げて告知したうえ、事故事例をあげて注意していた。

なお、右作業安全心得(乙第六号証の二)は、整理整頓清掃に努めること、作業前の機械器具の点検、指示されない機械器具の無断使用禁止、作業中の離席や放談の禁止、安全装置の無断除去の禁止、機械の清掃・注油・点検の際に運転を停止すること、濡れた手で電気回路及びその付近の金属部分に触れないこと、指名された者以外のスイッチの切り換え禁止、プレス運転中に型の中に手を入れないこと、服装を整えること、作業上の危険が予知されたり疑義のある場合に職員の指示を受けることを内容とするものであり、これを記載した書面は本件事故当時第三工場内に貼付してあった。

また、横浜刑務所では、毎月第一及び第三月曜日を緑十字の日と定め、安全教育、監視、指導を入念に行うことにしており、第三工場においては、刑務官又は技官が受刑者に対し、工場の通路又は食堂において、法務省矯正局作成の「作業安全心得」と題する書面(乙第六号証の三)を用いて、安全な作業態度、服装、整理整頓等の心得といった就業に当たっての一般的留意事項、作業開始前、作業中、作業後の心得といった機械作業全般に関する留意事項、特定機械に関する留意事項を告知し、特に作業安全に対する注意を喚起していた。なお、「作業安全心得」と題する書面(乙第六号証の三)は、刑務所の職員用に作成されたものであり、その記載中には、手袋を着用してロール作業を行うと、手袋がロールに巻き込まれるおそれがあるため、ロール作業における手袋の着用を厳禁する旨の記載もある。

刑務作業は、午前八時から午後四時四〇分までであるが、その間午前一〇時、午後二時に各一〇分ずつの休息時間があり、また、午後一二時から午後一二時四〇分まで昼食の時間がもうけられている。

(三)  原告が昭和五八年九月一日から配属された横浜刑務所の第三工場には、昭和五八年一〇月当時約五〇名の受刑者が四種類の刑務作業に従事し、高坂、千葉の二名の刑務官が常時同工場内にいて、原則として一人は別紙第三工場配置図の東側の担当台(床から約六〇センチメートルの高さがある台)に立ち、他の一名は工場内を巡回して作業全般を監督した。また、川路が第三及び第六工場の作業技官(矯正専門職法務技官)として、一日に四、五回は第三工場内を巡回して作業についての指導を行っていた。

第三工場内の配置は、別紙第三工場配置図表示のとおり、通路を隔てて大きく二箇所に分かれており、北側には、東側から順に倉庫、刑務官の担当台、キャブレターの解体作業を行う平島商店(労務提供契約先の民間業者である。後述の業者も同様である。)の解体場、中華鍋等の製造作業を行っている丸井産業の転造盤、プレス、伸線機等の機械が並んでおり、通路の南側には、東側から順に更衣室、右丸井産業の大型プレス機械、平島商店の材料置場、山田工業の溶接場、仕上場、アーク溶接場、大橋産業(以前は有限会社大橋金属工業という商号であった。)の本件作業場(粉砕機、本件ロール機、溝ロール機及びシャーリングが中央の通路側から南側に向かって順に置いてあった。)、丸井産業の金属組立場、梱包場、線材料置場が並んでいた。

本件ロール機は、作業開始前には別紙第三工場配置図表示の「平ロール機」と記載された付近にあるが、作業が始まると北東側に引き出され、担当台からは約一〇メートル位の位置(同図面表示の「粉砕機」の「機」の字が記載されていた付近)で前部(電線挿入口)を東側に向けて使用し、担当台にいる刑務官からは、通路を隔てて見ることができる位置にあった。

(四)  本件作業は、横浜刑務所が大橋産業から機械、機具、材料等の提供を受け、これにより受刑者に作業を行わせるもので、受刑者の一時間当たりの賃金に一箇月間の労働延べ時間を乗じて算出した労務費を支払って貰う契約であった。

本件作業内容は、本件ロール機のほかに粉砕機、溝ロール機、シャーリングという四台の機械を使用して、被膜電線の被膜除去及び伸線を行う作業であり、その手順は、まず、第三工場外の倉庫からリヤカー約一台分の材料(廃材となった高圧用被膜電線である。)を工場内に運び入れ、別紙第三工場配置図表示の本件ロール機の前あたりに降ろし、太い電線と細い電線に選別し又は伸線作業を行ったうえ、太い電線は溝ロール機を使用して被膜に切り口をつけ、鉄べらのような道具を使用して被膜と電線本体に分け、細い電線は本件ロール機を使用して被膜と電線本体に分け、被膜ビニールは粉砕機を使用して処理し、鉛で覆われている電線や太い被膜電線はシャーリングを使用して切断するというものである。

倉田は、昭和五八年九月九日当時、本件作業の検査工(班長)として、原告、荒井、訴外沼田、同本田の各受刑者を指揮して、本件作業を行わせていたが、倉田、訴外沼田、同本田が溝ロール機を使用する作業を行い、原告、荒井が本件ロール機を使用する作業を行っており、シャーリングは倉田のみが使用し、粉砕機も倉田が挿入作業をしていた。そして、本件ロール機を使用しての作業の分担は、荒井が電線を本件ロール機に挿入し、原告が後部から分離されて出てくる被膜と電線本体を受け取る役割を担当していたが、昭和五八年一〇月三日ころ新たな受刑者が本件作業に加わるようになり、原告はその者と二人で本件ロール機の後部で受取作業にあたっていた。

(五)  本件ロール機は、別紙平ロール機図面表示のとおり、高さ1.3メートル(但し、上部のハンドル部分を除いた高さである。)、幅0.77メートル、奥行0.7メートルの機械であり、上下に直径15.5センチメートルの二本のロールがある。正面からこのロールの間に被膜電線を差し入れると、それが、回転しているロールに潰されて被膜のビニールと電線とに分かれて機械後部から出てくる仕組みとなっている。上部の二本のハンドルを回すことにより二本のロールの間隔を調整し、差し込む電線の太さに対応できることになっている。また、動力を伝えるチェーンや歯車は鉄製のカバーで覆われている。

次に、本件ロール機は、ロールに巻き込まれる危険を防止するために、前部には二本のボルトで設置された鉄板のカバーが設置され、右カバーの中にある二本のロールが接触する直線に沿ってその外側にある右カバーの真中当たりに直径一センチメートル位の穴が五箇所あけられ、その線上の真中当たりに直径約3.5センチメートル(内径)の鉄製筒が前部カバーから7.5センチメートル突き出るように設けられている。これは、ロールに指や手が直接触れて巻き込まれることなく、被膜電線をロールの間に挿入できるようにしたものである。そのうえ、本件ロール機の上部及び後部にも安全の目的でカバーが設置されていた。もっとも、後部カバーは上端の二箇所をボルトで留めてあるものの、下端には穴を開け針金をくくりつけて上に引き上げられるようになっており、ロールやロールとこれを支える棒との間等にこびりついた被膜ビニールを取り除くために、前後部の安全カバーをはずす必要もあった。

横浜刑務所では、本件ロール機導入を決定するに際し、大橋産業の工場を視察したが、そのとき大橋産業では、前部、上部及び後部にカバーがなくロールが剥き出しの状態で稼働していた。しかし、安全の見地から、横浜刑務所では大橋産業から本件ロール機の提供を受けるに際して、本件ロール機の前部(挿入口付近)に鉄板のカバーを設置するように依頼し、導入後も一箇月半位の間は、川路及び第三工場の担当刑務官が試験的に稼働させて安全性を検討し、大橋産業に設置して貰った前部カバーの真中に前述の鉄製の筒を突き出すように設置し、上部及び後部にもカバーを付けて、別紙平ロール機図面表示のとおり、回転するロール部分が各カバーにより覆われ、手、指等が巻き込まれるおそれがないようにした。

ところで、本件ロール機は、前述のとおり太さの異なる被膜電線を挿入する場合にはその都度上部のハンドルを回してロールの間隔を調整する必要があり、ロールの間隔が広過ぎると被膜が剥離されず、また、狭過ぎると被膜電線が挿入できない構造であるうえ、本件作業は廃材となった高圧用被膜電線を材料としているので、その太さは一定ではないため、ロールの間隔を調整することが不可欠であった。また、本件ロール機は、使用しているうちにロールが熱をもち過ぎると被膜の剥離ができなくなることがあり、その際には上部カバー(網状になっている。)の上から水をかけ冷やして正常の機能を回復させ、さらに上部のロールにビニール被膜の滓が付着しすぎると、電線の挿入が困難になるため、上部カバーと前部カバーとの隙間から鉄べらを差し込みビニール滓を除去する必要があった。

(六)  高坂は、原告を含む第三工場の就業者に対し、前述の始業時における安全心得の説明等の機会を通じて繰り返し勝手に安全装置を除去することを禁ずる旨告知して、本件作業に就業している原告らが本件ロール機を稼働させながら前部、上部又は後部のカバーを外して、作業したり機械に詰まったビニール被膜の滓等を除去することを禁じていた。しかし、昭和五八年九月二七日ころの午前中に、原告及び荒井が付着したビニール滓を素早く取ろうとして、本件ロール機を稼働させながら、後部カバーを上に引き上げてビニール被膜の滓を取り除いているのを発見した刑務官の塚原良徳が、その場において電源を切って行うように厳重に注意したことがあった。

また、本件事故の前日である昭和五八年一〇月五日の作業終了後、荒井は、刑務官及び技官の許可なしに、電源を切ったうえではあるものの本件ロール機の前部、上部及び後部のカバーを全部取り外して、ロール及び心棒に巻きついたビニール滓を取り去って掃除し、注油したことがあった。

なお、本件作業は、先端が鋭く尖った電線を扱うため、横浜刑務所では就業者全員に皮手袋を支給し、シャーリングを使用する場合、電線を伸ばす場合、又は本件ロール機に電線を挿入する場合に皮手袋を着用するように指示していた。原告も終始皮手袋を着用して作業を行っていた。

(七)  本件事故のあった昭和五八年一〇月六日の本件作業においては、まず就業者は電線を倉庫から工場内に運び込み、太い電線と細い電線に仕分けした後、午前九時五〇分ころから溝ロール機及び本件ロール機を使用して、ビニール被膜の除去作業にとりかかった。

本件ロール機については、荒井がその前部から電線を挿入し、原告及び一〇月三日に本件作業に新たに加わった受刑者が後部で分離されたビニール被膜と電線本体を受け取る態勢を整え、荒井が長い電線を二つ折りにして押し込んだが、挿入することができなかった。そこで荒井は、短い五、六〇センチメートルの電線を折り曲げないで押し込んだところ、挿入することができロールの間を通過させて被膜を除去できたが、その後長い電線又は短い電線を繰り返し押し込んでテストしてみても右同日午前一〇時の休息時間までに二本の電線しか処理できなかった。

(八)  荒井は、休息時間終了後の右同日午前一〇時一〇分ころから、再び電線を本件ロール機に挿入し始めたが、電線がロールの間にくい込んでいかなかった。折から検査工の倉田が本件ロール機の側に来て、ロールの回転状態を見たり同機械の上部にあるハンドルを調整したが、電線は挿入できなかった。

同日午前一〇時一八分ころ荒井が前部カバーを取り外して直接ロールの間に電線を挿入してみようと提案したところ、原告はこれに賛成し、他の者も反対しなかったため、荒井は、本件ロール機の脇の作業机の上にあったメガネレンチを持ってきてボルトをゆるめ前部カバーを取り外した。

原告は剥き出しのロールが回転している前部に立って皮手袋をした右手に長さ約五〇センチメートルの電線を持って、これをロールの間に直接何度か押し込み、その結果電線はロールの間に挿入されていった。

そこで、原告が同日午前一〇時二〇分ころ再び同じ位の長さの電線を押し込もうとして、右手で電線の真中付近を持ち左手で電線の端を押さえて、剥き出しのロールに差し込んだところ、電線がロールの間に差し込まれ、電線の真中付近を持っていた右手の皮手袋がロールの間に挾まれた。

原告は、電気を止めるように大声で叫び、これによりスイッチの側にいた倉田が電源を切ったので、停止したロールの間から引き抜いたところ右手の示指から出血しており、直ちに第三工場の東側にある担当台へ行き、高坂に報告した。

本件事故当時、高坂は、別紙第三工場配置図表示の東端倉庫脇の担当台にいて、休息後の作業が再開された工場内全体を見回して個々の作業が開始されたかを確認しており、また、千葉は、同工場の西側から東側の右担当台に向かって、通路の北側を通って工場内を巡回していた。

(九)  高坂は原告を医務室に連れて行き治療を受けさせ、また、本件事故を受持区域の事務室と作業課に連絡した。

その後、原告は、他の刑務官によって、朝倉病院に連れて行って貰い治療を受けたところ、右手示指挫創、右手中指挫傷・末節骨骨折により安静加療一箇月間を要する旨の診断を受け、横浜刑務所の病棟に昭和五八年一二月一〇日ころまで入院し、退院後は洗濯工場である第七工場で刑務作業に従事した。

原告は、昭和五九年四月に出所し、同年五月二日、中野総合病院の訴外池澤康郎医師の診察を受けたところ、右示指挫創・末節骨切離、右中指挫傷、末節骨骨折の後遺症があるとの診断を受けた。

以上のとおり認められ、これに反する証拠は次に説示するとおり信用できず、他にこれを覆すに足る証拠はない。

すなわち、乙第二号証の記載中には、本件事故の直前に荒井が本件ロール機の前部カバーの取り外しを提案した際、倉田はこれに反対した旨の記載がある。しかし、前述のとおり倉田は本件作業を指揮する班長兼検査工であったのであるから、荒井がこのような立場にあった倉田の指示に反してまで前部カバーを取り外したとは考え難い。そして、乙第二号証は、横浜刑務所の副看守長訴外佐藤貞幸が倉田から聴取した供述を記載したものであるから、倉田が本件事故に関する自己の責任を免れるため、前部カバーの取り外しに反対したとの虚偽の供述をしたのではないかとの疑念も抱かれ、これらのことに前記乙第三号証、原告本人尋問の結果を加えると、乙第二号証の右記載部分は信用できない。

三前項の事実を前提にして、原告主張の高坂らの過失の有無について判断する。

1  監獄法二四条に定められているいわゆる刑務作業は、主として懲役受刑者の定役(刑法一二条二項)として行われるものであるが、定役として課される場合も一つの強制であるだけでなく、それと同時に受刑者に正しい勤労の習慣をつけさせ、また職業訓練の機会を与えて必要な技能を身につけさせ、もって受刑者の社会復帰を可能ならしめるものであると解される。そのため、刑務作業は、監獄法二四条一項が規定するとおり、非衛生的又は非生産的で単に肉体的・精神的な苦痛を与えるという以外に全く意味のないもの、いわゆる苦役であってはならず、受刑者が積極的に心身の健康を維持し、健全な勤労者として就業しうるもので、かつ、その作業内容が生産的で、作業成果について受刑者に喜びを感ぜしめるようなものでなければならず、また、刑務作業の指定に際しては、受刑者個々人の刑期の長短、健康の強弱、入監前の技能の有無・勤労経験の有無、内容又は将来の生計を考慮して、個々人にふさわしい作業を指定するように努めなければならないと解される。

右のような刑務作業の特質からして、刑務作業は受刑者にとって特に危険なものであってはならないが、そうであるからといって、およそ絶対的に安全な作業等は存在しないから刑務所側の安全管理が重要となってくる。刑務作業の形態には本件のような民間業者に労務提供するものを含め、いくつかの種類があるが、右のことはいずれにも多かれ少なかれあてはまるものである。殊に刑務作業において使用される器具、機械、作業着等は全て収容者側から一方的に与えられ、また、刑務作業が必ずしも当該作業について知識及び経験のある受刑者だけに課されるものでないから、刑務所において受刑者を刑務作業に就業させるに際しては、作業による身体の損傷等が生じないように十分な安全指導、監督はもとより、使用する機械、器具等の安全性にも注意を払う義務があると解される。もっとも、就業者の熟練度が向上し、あるいはその理解力、判断力が高い場合には、刑務官、技官等が受刑者の一挙手一投足に注意を払う必要はなく、一定の作業手順に従って作業を進めることを指示、指導し、特に危険性のある点について事前の指導を十分に行えば足りると解するのが相当である。また場合によっては、受刑者に対し、刑務官においては一般的な安全性に関する指導を行い、当該作業に長期間就業し熟練したと思われる他の就業者をして具体的な作業手順、機械操作等の指導を任せることもできると解される。

2  そこで、以上の考えに基づいて原告が主張する具体的な過失内容について考察する。

(一)  原告は、高坂らが原告に対し、本件ロール機の構造、使用方法及び危険性について説明をしないばかりか、全く安全教育をせずに本件作業に従事させた過失がある旨主張する。

しかし、前認定のとおり本件ロール機は、二本のロールが回転しそのロールの間に被膜電線を差し入れると被膜ビニールと電線本体に分離されて後部から出てくるという単純な構造で、動力を伝えるチェーンや歯車は鉄製のカバーに覆われ、また、ロール部分も前部、上部及び後部に取り付けられたカバーによって完全に覆われている。したがって、身体の一部がロールに接触する危険は全くないのであるから、本件ロール機を使用する作業は、安全カバーを外さない限り、機械から生ずる危険性のないものと認められ、このような作業における安全教育は、カバーを取り外すなど自ら危険な状態を生じさせる点を除いては、一般的かつ概括的な注意事項を教示することで足りると解される。しかるところ、〈証拠〉によれば、原告は少なくとも通常人程度以上の認識能力、理解力及び判断能力を有していることが認められるところ、前認定のとおり高坂は、昭和五八年九月九日本件作業に従事させるに際し、原告に対しロールに手や指を巻き込まれないようにすること、安全装置を取り外さないこと、機械の調子が悪ければ担当職員に申し出ること等の注意を与え、また、右同日以降においても、毎朝同様な注意をし、第一及び第三月曜日を緑十字の日と定めより入念な安全指導を尽くしていたものであるから、原告に対する高坂ら刑務官の安全教育に不十分な点があったとは認められない。

また、高坂ら刑務官が原告を本件ロール機まで同行し安全カバーをはずす等して事細かに本件ロール機の構造、性質、機能、危険性等を説明していないことは被告の自認するところであるが、前認定のとおり安全カバーを無断で外してはいけないことだけは口頭で説明されており、それさえ遵守されれば本件ロール機を使用しての本件作業には何らの危険もないのであるし、本件ロール機の使い方は倉田を介して説明を受ければ十分であって誤作動の危険等もないのであるから、右のように高坂らが本件ロール機の構造、使用方法等を事細かく原告に直接説明しなかったからといって、高坂らが安全指導の義務を怠ったとはいえない。なお、原告は本件ロール機の前後上部のカバーが安全装置であることを知らなかったと供述するが、到底措信できない。

したがって、高坂らの原告に対する就業前の安全指導等に注意義務に反する過失があったとは認められない。

(二)  原告は、本件ロール機が本件事故前から不良な機械であることを知りながら、高坂らは原告に同機械の使用を続けさせ、その調整まで原告を含む受刑者に任せていた過失がある旨主張する。

しかし、前認定のとおり本件ロール機は、前記説示のとおり、二本のロールが回転するだけの簡単な構造であり、同機械が電源を入れても稼働しなかったり、ロールが外れたり、安全装置である前部、上部及び後部の各カバーが外れたりといった故障を起こしていたわけのものでないことは弁論の全趣旨に照らして明らかなところであって、ことさらに不良な機械というべきものではない。

もっとも、前認定のとおり本件ロール機は被膜電線の太さに応じて上部のハンドルでロールの間隔を調整することを要する構造であり、また上部のロールに必要以上のビニール被膜が付着したり、又は上部のロールが過度に熱をもち過ぎると被膜電線が挿入し難くなるので、水をかけたり、ビニール滓を取り除かなければならなかったものであるから、わずかな期間でも本件ロール機による作業をした者の何人かは.そのようなビニール滓の取り除き作業を能率よくするために安全カバーを外し、かつロールを回転させながら付着したビニール滓を取り除きたい衝動にかられることは容易に想像できるところではある。その限りで、本件ロール機は危険性を潜在的には保有しているものといわなければならないが、刑務所としても、ビニールがロールに付着することのない平ロール機を容易に入手することができず、常時刑務官が本件作業を監視しているわけにもいかないので、無断で安全カバーを外してはならない旨を、その意味と理由を判断できるだけの就業者に指示しておけば、その他の使用調整方法はこれを就業者に任せていたとしても、このような刑務官の措置をもって、不良機械であることを知りながら放置していた過失あるとすることはできないといわなければならない。このことは、ある程度の生産効率の達成を要請されていたとしても、変わらないというべきである。というのは、刑務官らが安全性を犠牲にしても生産性を上げるように指示はしていないからである。そして、他に本件ロール機に特別な修理ないし調整を要したと認める証拠も、高坂らが原告を含む受刑者に対し、特別の修理又は調整を任せていたと認める証拠もない。

したがって、高坂らが原告に対し、不良な機械の使用を続けさせ、その調整を任せていたとは認められず、その点に関し高坂らに注意義務に反する過失があったとは認められない。

(三)  原告は、高坂及び千葉が、刑務官として具体的作業に関し、受刑者の安全を保持するため常時監督する義務があるのにもかかわらず、これに反して、荒井が本件ロール機の前部カバーを取り外したことに気付きながら、又はこれを気付かずに放置した過失がある旨主張する。

しかし、まず高坂及び千葉が本件ロール機の前部カバーを取り外したのを知りながら、これを放置していた旨の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。次に、取り外しに気付かなかった点であるが、前記説示のとおり、①本件作業は本件ロール機が通常に作動している限り安全であって、刑務官等が就業者の一挙手一投足を監視しなければならないものではないこと、②高坂が安全装置を勝手に取り外してはならない旨の注意を徹底していたこと、刑務官の塚原良徳が本件事故の起こる一〇日位前、原告及び荒井が本件ロール機を稼働させながら後部カバーを上げてビニール被膜を除去していたのを発見して、厳重に注意していたことは前認定のとおりであるから、高坂らにおいて、原告ら就業者がこれらの注意を全く無視して、敢えて安全カバーを外して危険性の高い作業を行うことまで考慮して監視、監督することを要求することは相当でないと考えられること、③本件作業は、特定の機械の傍らから終始離れずに行う作業ではなく、材料である被膜電線の搬入、選別、伸線、更には作業終了後の電線の選別、取り除かれたビニール被膜滓の処理等の作業が、本件ロール機の周辺で、数名の作業員によって行われていたものであるから、本件ロール機の周囲に四名位の受刑者が集まっていたとしても直ちに異常な事態が起きていると判断して注意を向けることは必ずしも容易ではないこと、④本件ロール機は高さ1.3メートル(上部のハンドル部分を除く。)、幅0.77メートル、奥行0.7メートルの機械で、周囲に作業者が立つと一〇メートル程離れた担当台からは少なくとも前面部の安全カバーが見えにくくなる状況にあったこと、⑤本件事故は、荒井が本件ロール機の前部カバーを取り外して直接ロールに被膜電線を差し込むことを提案してから、わずか二分位して起こったもので、高坂は休息後再開された作業が順調に進行しているかを確認するため工場内全体を注視し、千葉は工場の西側から東側に向かって、通路北側のプレス機等の設置された所を通って各作業を巡視していた時であったこと、等からすると、高坂及び千葉において本件ロール機の前部カバーが取り外されたのに気付かなかった過失があったとは未だ認められないというべきである。

(四)  原告は、高坂らが、ロール作業において手袋の着用が禁じられているのを知り、又は知りうべきなのにかかわらず、ロール作業に従事する原告に対して皮手袋の着用を指示し、本件ロール機の使用をさせた過失がある旨主張する。

たしかに、前認定のとおり「作業安全心得」でもロール作業において手袋の着用が禁じられているにもかかわらず、高坂らが原告に手袋着用を指示していたことは被告の自認するところである。ところで、ロール作業における手袋着用の禁止は、手袋がロールに巻き込まれ手や指を損傷するおそれがあるからであるところ、本件ロール機は、ロール部分がすべてカバーにより覆われているため、手袋の着用を禁じる実質的な根拠がないばかりでなく、本件作業は先端が鋭利になった電線を伸ばしたり、これを本件ロール機等に挿入するものであるから、電線の先端により指や手を損傷するのを防ぐために手袋を着用する必要性があると認められるのであって、本件ロール機の使用に関して、高坂らが原告に手袋の着用を指示したことに注意義務違反があったとはいえない。もっとも、原告の主張の真意は、安全カバーが外され作動中のロールが剥き出しになった場合における手袋使用を問題としているのであろうが、安全カバーを外して作動させること自体禁じられていたのであり、高坂らの手袋着用の指示が安全カバーを外していない場合及びロールの停まっている場合を前提にしていることは被告の主張から明らかであるから、右原告の主張は前提を誤ったものといわなければならない。仮に、原告の主張が、就業者が安全カバーを外して作動中のロールを扱うこともあり得るのでそのような場合をも想定して手袋着用の指示をすべきでないのに高坂らがそれをした過失があるというものであるとしても、それは、違反行為の累積というあまりにも予見困難な事態までを想定して注意義務を課し、その反面において前述の手袋着用の有益性を放棄させるものであるから、採用できないといわなければならない。

したがって、いずれにしても高坂らが原告に対し、皮手袋の着用を指示した点に過失はない。

(五)  なお、原告は、被告が原告に対し死傷病手当金給与規程別表記載の平均額の死傷病手当金を支払ったから、被告が本件事故の原因が原告の重大な過失に基づくものでないことを自認した旨主張し、右規程別表の平均額の死傷病手当金を支払われたことは当事者間に争いがない。

死傷病手当金は監獄法二八条に基づき支給されるものであるが、その支給額は情状を考慮して決定されるべきもので、当然、過失の有無、軽重等の考慮をした上でなされるものではあるにしても、他の諸事情も考慮される以上、支給された金額をもって過失の有無、軽重に対する判断を推定することはできない。

もっとも、〈証拠〉によれば、死傷病手当金給与規程には、作業者の重大な過失に起因して負傷した場合、刑務所長が死傷病手当金を給与しないことができる旨の規定(五条)があり、また矯正局長の通達(「死傷病手当金給与規程の運用について」)には、作業者の重大な過失に起因して負傷した場合、死傷病手当金の金額を同規程別表の平均額よりも減額する旨の規定(3項(2))があり、さらに、「所内生活のしおり」と題する書面(乙第一六号証の二)には、刑務作業中、「わざと怪我をしたり、普通の注意をすれば怪我しなかったと思われるとき以外には」死傷病手当金が給与される旨の記載のあることが認められる。したがって、右規程別表の平均額の支給があったことは、通達の解釈の上からは原告に重過失がなかったことを推認せしめる運用であったといわなければならない。しかし、前述のとおり原告の著しい軽率さは疑いようのないところであり、被告もそれを十分に認識していたのであるから、右平均額の支給は右矯正局長通達に反する運用がなされたことを意味するにすぎず、原告に重過失がなかったことや、被告がそれを自認したことを意味するものではない。労働者災害補償保険法の適用のない刑務作業における事故については、被害者への補償が微弱になるのが現状であり、その現状下で通達に反して少しでも原告に有利な運用がなされたことは、少なくとも原告との関係では不当なことではないといわなければならない。もとより、右の運用が当裁判所の判断を拘束するものでないことはいうまでもない。

したがって、原告に重過失がなかったことを被告が自認したとの原告の右主張は採用できない。

3  以上のとおりであって原告主張の過失は認めることができず、その他に高坂らに本件事故を惹起させたというに足りる注意義務違反行為を認める証拠はないので、原告の国家賠償法一条に基づく請求は失当である。

四次に、安全配慮義務違反について判断する。

1  被告は、矯正施設である刑務所を設置、管理、運営するものとして受刑者に課す刑務作業に関しその安全性に配慮する義務があるというべきであると解されるが、その具体的な義務内容は、刑務作業の内容、危険性の程度、作業者の経験、知識、熟練度等といった具体的事情により決定されるものである。

そこで、原告主張の安全配慮義務違反の各事項について検討する。

2  原告は、被告が原告に対し、極めて危険なロール機を使用する本件作業を刑務作業として選択し、そのうえ老朽化し故障がちな本件ロール機を配置して使用させ、しかも同機械の修理を原告を含む受刑者に任せ、長期にわたって同機械の前部及び後部のカバーを取り外して掃除することを容認してきたから、本件事故が生じ原告が負傷したのであり、被告には安全配慮義務を尽くさなかった違反行為がある旨主張する。

しかし、既に説示したとおり、本件ロール機には前部、上部及び後部に各カバーが設置されているため、安全カバーを外さない限り本件ロール機を使用して行う作業が危険な作業であるとは到底認められないうえ、高坂らは、無断で安全カバーを外してはならない旨をその趣旨を十分理解することができる原告らに指示していたのであるから、被告が原告に対し本件作業を刑務作業として選択したことに安全性の配慮を欠いた点があるとは認められない。

また、本件ロール機が老朽化した故障がちの機械であり、修理を受刑者に任せていたとの主張についても、前記説示のとおり右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

さらに、受刑者が本件ロール機を稼働させながら、同機械の前部及び後部の各カバーを取り外して掃除することを、被告が容認してきたとの右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。前記説示のとおり、前記塚原良徳は原告及び荒井に対し、本件事故の一〇日程前に後部カバーを引き上げて回転しているロールからビニール滓を除去する行為を厳しく注意しているのであり、また、高坂は原告を含む受刑者に対し、機械の安全装置を許可なく取り外すことを禁ずる旨繰り返し告知し、その旨記載された書面を工場内に貼付しているのであって、これらの事実に照らすと刑務官等が受刑者に対し本件ロール機のカバーを自由に外して、とりわけロールを作動させたまま掃除することを容認してきたと認めることは到底できないし、その旨の原告本人の供述は信用できない。

したがって、原告の右安全配慮義務違反の主張は失当である。

3  原告は、被告が安全教育を行うに足りる人員及び時間を確保せず、原告に対し全く安全教育を行わず、しかも、受刑者の刑務作業を監督し作業中の事故を未然に防止するに足りる人員及び物的諸設備を施さなかったから、本件事故が生じ原告が負傷したのであり、被告には安全配慮義務を尽くさなかった違反行為がある旨主張する。

しかし、前説示のとおり原告は、昭和五六年六月に横浜刑務所第六工場に配属されて以来繰り返し一般的な安全指導を受け、昭和五八年九月一日に第三工場に移った際にも、高坂から個別の安全指導を受け、さらに、同月九日本件作業に変わった際にも、高坂から再び安全指導を受けているのであり、しかも毎朝始業前に一般的な安全指導を受け、第一及び第三月曜日には緑十字の日として看守又は技官から特別の安全指導も受けているのであり、これらの指導においては、使用する機械の安全装置を除去してはならないこと、機械に異常があれば職員に申し出ること等の教育がなされているのである。また本件ロール機の構造、操作要領の詳細についても検査工や先任の就業者から原告に対し教示されるように手配されているのであり、かつ、同機械の各カバーの外側から前述の安全教育に従って操作する限り、危険性は全くないことをも踏まえると、原告に対する安全教育ないし人員配置につき不十分な点があったとは認められない。

また、物的な安全設備についても、前述のとおり本件ロール機には、前部、上部及び後部に各カバーが設置されているので、それを外さない限り、ロールに付着するビニール滓により作業効率が落ちるものの、全く危険はないのであり、物的な安全設備に欠ける点があったとは認められない。

したがって、原告主張の安全配慮義務違反は認められない。

4  以上のとおり、被告には原告主張の安全配慮義務違反はないというべきであり、原告の安全配慮義務違反に基づく請求は失当である。

五よって、原告の本訴請求は、その余を判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川上正俊 裁判官岡光民雄 裁判官西田育代司)

別紙〈省略〉

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